2009年9月5日土曜日

福田洋一「チベット仏教のためにできること」

 今の私の研究姿勢ないしはチベット仏教研究に関わる姿勢は、単に学術的な業績を積み重ねるという興味ではなく、チベット仏教、引いては仏教そのもの、釈尊の教えに対して、私ができることをすること、何らかの貢献をすることにある。

 長い間手探りでチベット仏教の研究をしてきた。その最初の出発点は東洋文庫でのゲシェ・テンパゲルツェン先生に教えを受けたことにある。そのことがなかったら、その後の私の研究はもっと違ったものになっていただろう。チベット仏教を文献だけで研究するには限界がある。伝統が途切れてしまったものについては、文献に基づくしかないことは言うまでもないが、チベット仏教はその伝統が途切れることなく受け継がれている。われわれ外国人はその伝統そのものに入ることは難しいだろう。しかし、できる限り正確に理解し、それを他の人に伝えることによって、その伝統になにがしかの貢献をすることはできる。

 ゲシェラは私がチベット人と同じように研鑽を積んでいないことを十分に知っていながら、私のどのような質問にも真摯に答えてくれ、またそのようにチベット仏教を学ぶことを喜んでくれた。少しでも仏教が伝わることを望んでいるからである。その期待に、微力ながら応えたいと思う。私は個人的な業績としてではなく、仏教に貢献できることを目指して研究をしていきたいと考えている。

 このようなスタンスの元で、これまでチベット仏教文献を教えてきた経験から、チベット仏教研究あるいはその教育の困難な点について整理し、以下のような問題提起をしたい。
  1. 独学の困難さ。学べる機会が少ない。
  2. 一定の知識レベルに行くまでに時間がかかる。
  3. 文献量が膨大である。それに比して研究が少ないので、研究テーマを切り出すのが難しい。

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